マルコム・トフトの名前は世間の認識としてはルパート・ニーブの様にプロオーディオ業界での認知度は無いかもしれないが、 トライデントAシリーズ、80シリーズ、最近ではトライデント/MTAシリーズ980レコーディング・コンソールの設計者の1人として 豊かな経験とヒストリーを持っている。

さらに加えて言うならば、デヴィッド・ボウイからレディオヘッドまで数え切れないアーティストのレコーディングにこれらのコンソールは 使用され、" ブリティッシュ・サウンド "に貢献してきたと言えるだろう。 丁度シリーズ980コンソールの設置にサンフランシスコのプラネット3オーディオで私たちは会い、とても強いコーヒーを飲みながら語りあった。
 
 
Q : レコーディングの世界にはいるようになったきっかけを教えてください

60年代中頃からエンジニアの仕事を始めまして、1966年にCBSスタジオに入りました。そこで2-4トラックで作業をしていて1968年にトライデントが開設されたときに移りました。トライデントの連中が開いていたパーティに私も出席していて、うちで仕事をしないか、と言われたんです。その当時彼らはイギリスで唯一8トラックマシーンを装備していたスタジオだったんです。実際ヨーロッパ全体見渡してもトライデント・スタジオだけでしたね。アンペックスのAG440というマルチトラックテープ・マシーンです。

おかしなことにそのマシーンは60Hzのアメリカ用のモーターで駆動していたんです。本当はイギリスじゃ50Hzじゃなきゃ駄目なんですけどね。だからそのマシーンではテープが秒/12インチ半から13インチ回っていました。とても変則的でしたね。でもそんなことは大きな問題にならなかった。何せ誰も他に8トラックレコーダーは持っていなかったし、それにトライデントを開設した時には誰もあんなに有名なアーティスト達と仕事をすることになるとは考えていなかったと思います。

私がトライデントに移った頃にちょうどニューヨークからトニー・ビスコンスティがプロデューサーとしてやってきました。彼も職についたばかりで暗中模索、という感じでしたね。かれはベニー・コーデルというエセックス音楽出版社から来た男についてきたんですよ。私達が最初に仕事を始めた日に彼がトークバック越しにお前の星座は何だ、って聞いてくるんです。 私が牡牛座だ、と答えると”俺もだ、じゃあ一緒に仕事をしよう”って言うんです。それでその後3年間一緒に仕事をすることになりました。私達は初期のT Rexのアルバムの作業を行いました。彼らがエレクトリックな方向に移行する前の作品ですね。奇妙な作品は"They Were Fair and Wore Stars in Their Hair,Seers,Prophets of the Ages"とかいろいろありました。またデビット・ボウイのファースト・アルバムも一緒にやりましたね。
 
Q : それはスペース・オディッティですか? 

そう、スペース・オディッティです。そのシングル版はトライデントスタジオで製作されましたがバリー・シェフィールドがエンジニアで、 私はシングル版には関わりませんでした。 だけどアルバムは片面を私が担当し、もう片面はバリーが担当したんです。その後にジュームス・テイラーをプロデュースしていたピーター・アッシャーと仕事をすることになり、ジュームス・テイラーが契約していたアップル・レコードと関わるようになったんです。


 
 
ポール・マッカートニーがそのレコードではベースを弾き、それで私は彼に会うことができたんですよ。さらにアップルで契約されたメリー・ホプキンのシングル"Those were the days"のエンジニアも私が担当しました。記憶にあるかどうかわかりませんがこのシングルはイギリスでは大ヒットで、これはポール・マッカートニーがプロデュースしたものです。

 
 
さらにしばらくすると幸運なことにトライデント・スタジオが、ビートルズが"Hey Jude"をレコーディングするスタジオに選ばれたんです。 その理由は"サージェント・ペパー"が2つの4トラック・マシーンを同期させて製作されたものなんですが、それがとてもシンクが難しくて大変なリスクだったんですね。そのときまでには我々はすでに8トラック・マシーンを装備していて、ロンドンでは中々良い評判でしたので ビートルズは8トラックマシーンを使いたくてトライデントで"Hey Jude"をレコーディングしたんです。しかもさらに幸運なことに私はミキシング、エンジニアまで関わることができました。

 
その後トライデントではエルトン・ジョンのファースト・アルバムの製作にとりかかりました。またトライデントがクイーンを発掘し、クイーンをマネーメントし始めたんですよ。私達はUKで殆どのビッグネームと仕事をしていましたね。例外は、そうですね、ローリング・ストーンスぐらいですかね。
 
Q : では実際にトライデントがクイーンを発掘し、マネージメントしたんですか?

そうなんです。きっかけはロイ・トーコス・ベッカーとケン・スコット、当時在籍していた2人のエンジニアが製作側に回りたかったんですよ。 1971年にスタジオのマネージャーになったロイは、私からもエンジニアの仕事を取ってしまったんです。

ロイが最初に行ったセッションはT−REXの"Ride a White Swan"で、その頃私は2ヶ月ぐらいエンジニアの仕事が無かったんです。
 
Q : その曲も大ヒットでしたよね?

その曲でT−REXは初めてメジャーになり、ブレイクするきっかけになりましたね。マーク・ボランがエレクトリックにスイッチした頃です。 エレキ・ギターですね。

トニー・ヴィスコンティはそれまでの約2年間マークボランにエレクトリックに切り替えさせたくてね。その頃は私がエンジニアをしていたんですが、でもとても奇妙な組み合わせでしたね。

タブラ・ドラム、フィンガー・シンバル、奇妙なものが床にいっぱい散らばっていましたよ。 とにかくロイ・トーマス・ベーカーがプロジェクトに参加し、1年くらいはケン・スコットがエンジニアをしていました。ケンはバリー・シェフィールドから引き継いで、2人ともレコード製作に関わりたいと願望がありました。


 
Q : 私達は皆そういう願望をもってますよね?

そうですね、そうだと思います。それから彼らはトライデント・スタジオ・プロダクションという会社を設立し、このTAPが彼らをプロデューシングの世界に導く乗り物になった訳です。 で、その次のステップとしては、プロデュースに適したアーティストを見つけることだったんです。

私は今でもバリー・シェフィールドが言ったことを鮮明に覚えていますよ。

"ヘイ、丁度TAPで契約を終えたこのバンドを聞きに来いよ!"

それでタクシーに乗り、ある劇場に着いたらクイーンがステージで演奏していましたね。110デシベルぐらいの勢いでね。


 
Q : それは何年のことですか?

1972年か1973年だったと思います。彼らはトライデントと契約をして、次の年くらいまでファースト・アルバムを録音するぐらいまでトライデントでぶらぶらしていましたね。毎年トライデントのクリスマス・パーティには彼らを呼んで、数曲演奏してもらってましたね。

実際、私がコンソールを製作し始めた頃、北ロンドンに工場があったんですが、トライデントのグループのひとつだった場所ですが、クイーンは私たちが仕事を終えた後にそこでリハーサルをしていましたね。 夕方の6時ぐらいになると、クイーンの面々がアンプや楽器群と現れるんですよ。しかし彼らがビックになるにつれ、トライデントで扱うには難しくなってきましたね。マネージメント部門はエルトン・ジョンのマネージャー、ジョン・リードに売却し、出版権はEMIに売られました。 その当時としてはトライデントには中々良い条件だったと思います。その当時の殆どのプロデューサーがトライデント・スタジオを使っていました。グリン・ジョーンズはすごく使っていましたし、エディ・クレイマーもそうでした。


 
 
   
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